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心妙剣と無相剣の話は、司馬遼太郎の「龍馬が行く」でも紹介されたいたようですが、私は覚えていませんでした。

今回、ネットで偶然見つけましたが、印象に残る言葉です。
「無相剣」と「無想剣」の違いがよく理解できないのですが、普段から沢山の「サトリという名前の異獣」達と暮らしている私には到底縁のない言葉のようです。

低レベルな疑問で笑われるのは覚悟の上なのですが、無相剣と言うのは必ず心妙剣に達した人だけが更に到達出来る境地なのでしょうか?
それとも真の達人と言うのは、一気に無相剣の世界に到達出来るのでしょうか?

私には、後者はそれこそ全く縁のない言葉ですから、地道にサトリ達を一頭(匹)ずつ減らしていけるようひたすら無心で木を切っていくしかないと考えています。

続いての疑問なのですが、もうサトリのことは考えずに、その木こりは無心に斧で木を切り続けたということなのですが、無心になれる為には、やはり切れ味の鋭いその木こりにフィットした斧が必要ではないのかなと思いますが、如何なものなのでしょうか?

などと自問している私は、やはりサトリ達に囲まれながらもうまくやっていける道を探し続けるしかないのだろうと自答しています。

真の達人には関係ないのかも知れませんが、私は切れない斧で無心になって木を切り続けることは出来そうにないので、先ずは斧の名品を探してからよく研いで自分にフィットさせてから木を切りたいと思ってしまうのです。