薫習庵琴古流尺八アライアンス Kunjuan Kinko-Ryu Shakuhachi Alliance

 吉村蒿盟琴古流尺八教室(竹盟社京都支部) 大阪田波楽器教室 高槻教室 京都教室、兵庫尼崎・西宮教室などで行っております。

     初心者、経験者、他流を問いません、古典を中心に基礎から丁寧に個人指導します。
     お気軽にお越しください。出稽古にも参りますのでご相談ください。
     お申込み先 携帯電話 090-1899-3665 MAIL(onko9on@yahoo.co.jp)お待ちしてます。
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     WELCOME!I'm a professional Kinko-ryu Shakuhachi player from the Chikumeisha school
     I offer individual shakuhachi lessons in Osaka Tanami-gakki Takatsuki Kyoto-Hosonotei
     Hyogo Amagasaki Mukonoso and Nishinomiya Najio.

神戸芸術センターシューマンホールでの、「和の響き」演奏会まで2週間余りとなりました。

昨日は東京から大間隆之先生にお越しいただき、メンバー全員での下合わせができました。

「寿競べ」、「葵の上」ともに、箏はタテ、ツレ、トメの3面ですから、凄い迫力があります。三絃の藤村先生は今年は激動の年と言ってもいい中ではありますが、三絃がとても素晴らしい音色で弾いてくださいました。

葵の上は、一般的には38分位と言われておりますが、中田先生の方では34分台ということで、昨日も34分30秒でした。
解説によりますと、18段に分かれている曲で、曲想が転調により場面場面でどんどん変化していきますので、演奏していてとても楽しい曲ですし、聴いてくださる方もきっと長さを感じないのではないかなと思います。

また、長さを感じさせない演奏をしなければいけないと思いますので頑張ります。
客席120あまりのこじんまりしたホールですので特設ステージで間近での演奏になりますから、山田流箏曲を楽しんでいただけるものと思います。
私が知る限りではありますが関西では葵の上の通し演奏は例がないと思います。

当日券も少しですがありますのでお時間のある方、お越しをお待ちしております。
どうぞ宜しくお願いします

昨日は、お陰さまで無事、こりおりの会主催「山田流箏曲演奏会Vol.3」終わりました。

写真は撮り損ねましたが、尼崎ピッコロシアター小ホールは音の良いホールです。
ホールの方が立派な舞台を今回も組み上げてくれましたので、じっくりと古典を味わえる雰囲気になり良かったです。

お客様も去年よりかなり増えましたので、少しずつでも会の趣旨が浸透していってるのかなと思います。ご来場いただきました皆様本当にありがとうございました。

演奏の方は、武藤先生に賛助出演いただいたお陰で凄く迫力のある演奏になったと思います。会員一同もがんばりました。

また、次の機会を目指して稽古して参りますので今後ともご支援の程宜しくお願いいたします。

楽しみにしておりました「山田流箏曲演奏会Vol.3」が明日となりました。
今日の午後には東京から武藤宏司先生にお越しいただき最終の下合わせをします。
後半2曲の「江の島曲」「須磨の嵐」に賛助出演していただきます。

関西では中々聴く機会の少ない山田流箏曲演奏会ですので皆様のお越しをお待ちしております。

特に尺八の皆様には聴いていただきたいです。
もちろん生田流の地歌箏曲も楽しいですが、山田流箏曲の楽しさを知らないのは尺八吹きとしては勿体無いと思います。

日時 平成25年9月28日、土曜日、午後2時30分開演
場所 兵庫県立青少年創造劇場ピッコロシアター小ホール
入場料 2000円 (学生は1000円)
曲目 ひぐらし 嵯峨の秋 江の島曲 須磨の嵐

お待ちしております。宜しくお願いします

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今年の6月に私のところにやってきました無銘管のことにつきましては、以前(6月)に紹介させていただきましたが、フェイスブックでやりとりしている内に、この尺八のルーツがほぼ解明できました。

11年前に初めて姫路で出会ったときにピーンときた直感が当たってました。
「この尺八は琴古流の原点に近い感じがする!」
「井上重美銘の尺八にとても似ている!」


以下、フェイスブックのやりとりです。

吉村蒿盟
「どなたかご存知の方、教えてください。
多分、昭和の初期頃の話だと思うのですが、日本で初めて尺八の学校を作った方、をご存じないでしょうか。私が最近吹いている1尺8寸管を作った清流義教さんの京都時代のお弟子さんが大変上手になって、日本で最初の尺八の学校を作ったというのですが名前が思い出せないというのです。
思い当たる方、教えてください。宜しくお願いします。」

「現代邦楽年鑑とか三曲名鑑とかで見てみたのですがよくわかりませんでした。
戦前の三曲誌をなめれば何かあるかもしれません。
関西の情報はどうしても少ないですね。」


吉村 蒿盟
「判れば嬉しいのですが(^_^;)」

吉村 蒿盟
「 私自身は多分、竹道学館の初代館長兼安洞童師のことではないかと思っています。
昭和初期ですし、京都ですし、僧籍ですし、龍谷大学ですし、日本一になったという話も納得できるし、全ての話が一致するので多分間違いないと思います。

11年前に初めて伺ったときにも清流さんのお父様からその話を伺って、直感的には竹道学館の兼安洞童師の名前が浮かんだので、「ひょっとしたら尺八の学校というのは竹道学館のことかなあ」とは申し上げたのですが自信は無かったのです。

でも今日改めて確認したら、ほぼ確信しました。私が清流義教管は琴古の正統派の作だと直感したのは間違いなかったです。
次のとおり、竹道学館の公式ホームページに書かれている館の沿革が、清流さんのご両親が仰ってる話と総て一致しますからね。

http://chikudo.net/intro/

竹道学館紹介 琴古流尺八日本竹道学館

清流 祐昭さん
「竹道学館創立は1928年ですから、義教は27歳ごろで京都に住んでいた頃に重なります。洞童が学んでいた龍谷大学は西本願寺の境内にあり、義教が勤務していたのも西本願寺の宗務所でした。」

吉村 蒿盟
「多分、間違いないと思いますよ。
11年前に初めてお祖父様の尺八を見せていただき吹いたとき、すぐに井上重美作の尺八と姿形・音色がそっくりだと思いましたからね。

次のホームページに「初世川瀬順輔直門井上重美? → 兼安洞童」という項目があり、意味としては「確証はないが初代兼安洞童は井上重美に習っていたのであろう。」とありますから。

私の推察としては、清流義教さんは少なくとも尺八製管には井上重美師との関係があったと思いますし、この時代には吹奏を習うということと製管を習うということとはほぼ同義でしたからね。

一つはっきりしないのは井上重美の年代が分からないので義教さんとの関わり方がどうだったのかということです。

http://www.phoenix-c.or.jp/~watarun/history-routes.htm


清流 祐昭 さん
「違っていました。1889年、明治22年、2月26日の生まれです。丑年。往生は1970年、昭和45年、4月です。
竹道学館創立の頃は39歳です。」


吉村 蒿盟
「その年代の方が師弟関係としても自然ですね。義教さんはきっと井上八千代を通して小林紫山師とも交遊があったと思います。

亡くなったのが昭和45年というのも私には因縁めいたものを感じます。

私が尺八を始めたのが昭和47年ですから、出会うまで30年間、そして縁あって私の手許に来てくれたのがおよそ40年、ずっと正福寺で眠ったまま割れずに待っていてくれたのかなと思います。尺八に早く私を顕彰して欲しい!とね。

今年の2月、師匠が他界し、これからの方向性を模索していた折りに40年の眠りから覚めて私のところにやってきた義教管ですから大切にしていきたいと思います。」


清流 祐昭 さん
「父に尋ねてみました。
「兼安洞童が若い頃に義教に習っていて、ある日限界を感じたと持っていた尺八を立ち割って持ってきて挨拶をした。それを義教は、もう一度やれと言って尺八を修理して渡した。その後、別の人に師事して一人前になった。」
そういう風に聞いた記憶があると、父は言っています。」

吉村 蒿盟さん
これで話が繋がりましたね。面白いです。
その話は11年前にお父様から直接聞かせていただいたエピソードでしたが、その話の主が初代兼安洞童師だったとは思いませんでした。確かお父さんの話では、その方はその後も修理してもらった尺八を大事にして日本一になって尺八の学校を創ったということでしたから、竹道学館のホームページに載っている兼安洞童師の演奏写真で吹いているのはその清流義教管かも知れないですね。下管は見えませんが上管の巻きの数が多いのが納得できますから。」


清流 祐昭さん
「義教が教えた人物は舌が異常に長かったということです。また、京都の学生三曲連盟紹介 http://www.uroco.net/kg3/history/1965.html
に「龍谷大学邦楽部プロフィール 我が龍谷大学学術文化局邦楽部の歴史は実に古く、明治43年4月15日に故兼安洞童氏の入学から始まり、第四回定期演奏会を迎えた今日までなんと57年の沿革があった。最初の部名を碧水会という。洞童氏は明治27年7月8日山口県宇部市本願寺末寺・教念寺に生まれ、明治43年4月に龍谷大学(当時仏教専門大学と称す)に学びにこられた。その頃より洞童氏に指導していただいた。」とありました。

1965年 京都学生三曲連盟紹介 | 京学三Cafe | cou
www.uroco.net

吉村 蒿盟
「段々と点が線になり面に広がって来たようです。嬉しいです。」

追伸
 昨日、京都の倉橋容堂さんとお会いする機会がありましたので訊ねてみましたら、倉橋さん曰く、井上重美師は京都で稽古をしていた時期があったと思いますよ、とのことでしたので、一層確信できました。

 この清流義教管、中継ぎに少し傷みがありましたので、先日、小林一城先生にご無理をお願いして修理をしていただきました。元の仕上げと全く同じに蝋色仕上げで見事に修理していただきましたので、この先、50年は安心して使うことができます。(もちろん私の代で終わるものではありません。)

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